秋田内陸100㎞ウルトラマラソンに行ってきました。
今年で連続10回完走を目指し、秋田入り。
幸いにも好天に恵まれ絶好のマラソン日和でした。
と、思った矢先、大会当日、妻が体調を崩し、朝から嘔吐、
何とか会場についたものの、スタート地点に立てず、
ギリギリまで体育館で休むことに。
午前4時半スタート地点に立てたものの、
今日は自分が100㎞妻を引っ張って走る決意を固めました。
しかし、スタートして間もなくさすがに本番に強い妻、
何とか前に進んでいきます。
この調子で行けると思っていた矢先、10キロも進む前に、
突然、自分の右大腿四頭筋に痛みが。。。。。。。
妻を引っ張るどころではありません。全く脚が上がらなくなりました。
やばい!残り90㌔以上この調子では走れない、10回完走は無理だと思った思って瞬間です。
とにかく1キロ走って休む、その繰り返し、残り89㌔、88㌔、1キロ刻みで前に進みますが気が遠くなりそうでした。
このままでは、二人とも完走できないと決意、妻を先に進めました。
妻がどんどん小さくなっていきます。先に行けといったものの、視界から見えるようにと、
必死でついていきます。見えなくなるなっと思うと運がいいことにエイド休憩で何とか追いつけます。妻もゴールできるぎりぎりのペースで走ってくれていました。
とにかく、この調子で50㎞の中間地点を目指します。しかし、頭の中は、今の時間、残りの距離、速さと頭の中は計算でいっぱいです。妻も同様、笑顔もなくなっていきます。
それでも大覚野峠もクリアし、50㎞の中間エイドをめざします。
しかしエイドごとに、毎回寝っ転がる始末、なかなか50㎞のエイドにたどり着けません。
どんどん、時間だけが過ぎていきました。
やっと、50㎞のエイドについたときは、11時半、スタートから7時間、制限時間13時間を考えると、ゴールは不可能に思えました。実際、エイドで休んでいるランナーでリタイアする人がリタイアバスに乗り込んでいました。
しかし、ここではあきらめきれないと二人で、再びコースに戻ります。
この先70㎞あたりのエイドにマッサージがある・・・・。そこまで、なんとか・・・・・・
無事、マッサージエイドに到着、早速、右脚をほぐしてもらいました。
すると、どうしたことでしょう。。。。動かなかった右脚が前に進みます。
マッサージのお兄さんに感謝しながら先へ先へと進みました。
無事北緯40度を通過、このままならゴールできると進んでいると、途中でアイスを食べる余裕が(^^)/
ところが、走っているランナーが関門あるよと、(-_-;)
いままで、関門を考えずにゴール時間しか考えずに走っていたので、びっくり!
目に見えない関門時間との恐怖で㌔6分を切るペースで走る羽目に。
マッサージのおかげで脚が進すみます。
90㎞の制限時間を20分ほど余裕を残して通過、完走の2文字が見え始めた矢先
残り10㎞というところで、また、脚が動かなくなりました。
また、1キロごとに走っては休みの繰り返し、どんどん時間が押していきますが、脚が前に進まない。もう時間との戦いです。残り8キロ、残り時間70分、㌔8分で行けばゴールできるはずですが、また、何が起こるかわからないと、㌔7分を切るペースを絞り出しては、休み30秒、そして7㌔、6㌔、5㌔・・・・・いままでここまでゴールが遠くに感じたことはありませんでした。
制限時間まであと5分、ゴール前の直線が見えてきました。
この時までゴールできると確信はありませんでした。
そして、12時間55分無事二人でゴール。
今振り返ると、今まで走った100㎞マラソンで、一番思い出深い大会となりました。
何はともあれ10回完走、今年もオシドリ賞、
そして、クリスタル賞もゲット、来年は二人でクリスタルランナーになって、ブルーゼッケンで走ります。
帰りの秋田空港で飲んだ地酒、忘れられない味になったことは言うまでもありません。
今年の大会はこれにて終了、北海道はいよいよ冬へと足早に駆け込んでいきます。
今年は、反省の多い大会となりました。来年に向けて早速始動です。
幸いにも好天に恵まれ絶好のマラソン日和でした。
と、思った矢先、大会当日、妻が体調を崩し、朝から嘔吐、
何とか会場についたものの、スタート地点に立てず、
ギリギリまで体育館で休むことに。
午前4時半スタート地点に立てたものの、
今日は自分が100㎞妻を引っ張って走る決意を固めました。
しかし、スタートして間もなくさすがに本番に強い妻、
何とか前に進んでいきます。
この調子で行けると思っていた矢先、10キロも進む前に、
突然、自分の右大腿四頭筋に痛みが。。。。。。。
妻を引っ張るどころではありません。全く脚が上がらなくなりました。
やばい!残り90㌔以上この調子では走れない、10回完走は無理だと思った思って瞬間です。
とにかく1キロ走って休む、その繰り返し、残り89㌔、88㌔、1キロ刻みで前に進みますが気が遠くなりそうでした。
このままでは、二人とも完走できないと決意、妻を先に進めました。
妻がどんどん小さくなっていきます。先に行けといったものの、視界から見えるようにと、
必死でついていきます。見えなくなるなっと思うと運がいいことにエイド休憩で何とか追いつけます。妻もゴールできるぎりぎりのペースで走ってくれていました。
とにかく、この調子で50㎞の中間地点を目指します。しかし、頭の中は、今の時間、残りの距離、速さと頭の中は計算でいっぱいです。妻も同様、笑顔もなくなっていきます。
それでも大覚野峠もクリアし、50㎞の中間エイドをめざします。
しかしエイドごとに、毎回寝っ転がる始末、なかなか50㎞のエイドにたどり着けません。
どんどん、時間だけが過ぎていきました。
やっと、50㎞のエイドについたときは、11時半、スタートから7時間、制限時間13時間を考えると、ゴールは不可能に思えました。実際、エイドで休んでいるランナーでリタイアする人がリタイアバスに乗り込んでいました。
しかし、ここではあきらめきれないと二人で、再びコースに戻ります。
この先70㎞あたりのエイドにマッサージがある・・・・。そこまで、なんとか・・・・・・
無事、マッサージエイドに到着、早速、右脚をほぐしてもらいました。
すると、どうしたことでしょう。。。。動かなかった右脚が前に進みます。
マッサージのお兄さんに感謝しながら先へ先へと進みました。
無事北緯40度を通過、このままならゴールできると進んでいると、途中でアイスを食べる余裕が(^^)/
ところが、走っているランナーが関門あるよと、(-_-;)
いままで、関門を考えずにゴール時間しか考えずに走っていたので、びっくり!
目に見えない関門時間との恐怖で㌔6分を切るペースで走る羽目に。
マッサージのおかげで脚が進すみます。
90㎞の制限時間を20分ほど余裕を残して通過、完走の2文字が見え始めた矢先
残り10㎞というところで、また、脚が動かなくなりました。
また、1キロごとに走っては休みの繰り返し、どんどん時間が押していきますが、脚が前に進まない。もう時間との戦いです。残り8キロ、残り時間70分、㌔8分で行けばゴールできるはずですが、また、何が起こるかわからないと、㌔7分を切るペースを絞り出しては、休み30秒、そして7㌔、6㌔、5㌔・・・・・いままでここまでゴールが遠くに感じたことはありませんでした。
制限時間まであと5分、ゴール前の直線が見えてきました。
この時までゴールできると確信はありませんでした。
そして、12時間55分無事二人でゴール。
今振り返ると、今まで走った100㎞マラソンで、一番思い出深い大会となりました。
何はともあれ10回完走、今年もオシドリ賞、
そして、クリスタル賞もゲット、来年は二人でクリスタルランナーになって、ブルーゼッケンで走ります。
帰りの秋田空港で飲んだ地酒、忘れられない味になったことは言うまでもありません。
今年の大会はこれにて終了、北海道はいよいよ冬へと足早に駆け込んでいきます。
今年は、反省の多い大会となりました。来年に向けて早速始動です。